当ページでは、プラトンについて紹介しています。プラトンと聞くとイデアという難解そうな言葉が出てきたり、時代も紀元前の人物であるため拒絶反応が出てしまう方も多いと思います。

しかし、実はプラトン紐解いていけば哲学者の中では比較的分かりやすい存在です。下記でどのような思想を抱えていたか解説しています。名言も記載していますので是非ご覧ください。

西洋哲学の祖、西洋哲学発展の絶大な功労者

ラファエロ画 – 参照:Wikipedia

進行はわし、ソクラテスじゃ!今日は弟子のプラトンについてじゃな!わしの考えが現代でも残っているのはお主のおかげじゃ!

はい、先生のお考えは後世に残すべきだと考えました。

加えて、お主は学校を設立し哲学者を育てたんじゃな。おまけに政治と哲学の関わりを研究するとはお主の哲学に対する貢献は計りしれないの。

優れた哲学者を増やす事は大事ですからね。学校にはアリストテレスも通っていて勉学に励んでました!政治に哲学が交われば更に良い政治になると思ったんです!

哲学者プラトンは哲学の祖ソクラテスの一番弟子として有名ですが、師匠であるソクラテスは一つも著書を残しておらず、積極的に弟子を取っていませんでした。

それに対してプラトンは、有名な「ソクラテスの弁明」を筆頭に数多くの著書を残しました。プラトンの著書は、紀元前に執筆されたものであり多くの哲学者に影響を与えました。

また、後半でも触れますが、哲学の学校を設立するなど後進の育成にも力を注ぎ、西洋哲学の発展に大きく貢献したことから、師匠のソクラテスと並び西洋哲学の祖を呼ばれているのです。

数多くの哲学書を執筆

プラトンには生涯で36篇もの著作があるとされています。その中でも有名なものが自身の師匠であるソクラテスについて記した「ソクラテスの弁明」、愛(エロス)について記した「饗宴」、自身の哲学と政治の統合について記した「国家」です。

紀元前に書かれた書物が現代まで残っているという事実も、いかにプラトンの書物が多くの哲学者に影響を与えたかが伺い知れます。

哲学を学ぶ学校の設立で西洋哲学を大きく発展させる基礎を築く

著書の執筆に加えて、プラトンは哲学教育にも多大な力を注ぎました。哲学を学べる学校アカデメイアを創設し、多くの弟子を育てたことによって、西洋哲学が大きく成長する礎を築きました。

この学校アカデメイアでは、かの有名なアリストテレスも在籍しており哲学に打ち込みました。

哲学と政治の統合を模索、追求

プラトンが自身の哲学を追求する上で重要視していたのが、政治との統合です。師匠のソクラテスと出会った最初の段階から哲学と政治の関係に興味を持っており、政治家を目指していた時期もあるほどです。

中期以降に生まれた「哲人王」の思想が有名で、政治指導者に最もふさわしいのは国家が本当に目指すべき姿を知っている哲学者であると唱えました。

魂の三分説(理性、意志、欲望の三つに分かれる)を考えたプラトンは、理性が意志と欲望のバランスを取りながら前に進むのが理想国家への道だと説き、理性の最も秀でた哲学者こそが相応しいと考えたのです。

理想の世界「イデア界」を提唱

「イデア」とは誰もが頭の中に持っている物事の理想をいいます。例えば完璧な丸を想像して下さいと言われたら頭の中に完璧な丸を想像できると思います。しかし、その完璧な丸を現実世界で見ることは不可能です。私たちが現実で見ることができるのは限りなく完璧に近い丸です。

このような事実について深く考察したプラトンは、人間にこの完璧な丸のイデアが存在することで、様々な丸い物を丸だと認識できると考えたのです。

イデアには車のイデア、家のイデア、人間のイデアというように様々なイデアが存在しています。プラトンはこの様々なイデアが存在する世界を「イデア界」と名付け、私たちの生きる「現象界」と区別しました。

物事の本質は「現象界」にはなく「イデア界」に存在する。これがプラトンの考えであり、「イデア界」の探究こそが最も重要だと考えました。

プラトンの幼少期〜青年期

プラトン – 参照:Wikipedia

王族の息子として誕生

当時、奴隷社会で哲学について研究ができたのは生活に恵まれたものだけだったからのう。

はい、奴隷として働いていたら私は哲学に取り組む事はできませんでした。王族として生まれたのはとても恵まれた事でしたね。

奴隷社会であった当時のギリシャで哲学を勉強できる環境にいるというのは大体が高貴な身分の生まれです。当然プラトンもその一人で、アテナイ最後の王であるコドロスの一族として紀元前427年に誕生しました。

実は屈強な体育会系だった

お主、大柄であったがレスリングもできたんじゃの(笑)

はい(笑)
恵まれていたこともあってスポーツにも取り組めたんです!古代のオリンピックで優勝したこともあるんです!

哲学者というと何となく文系の華奢な男の人をイメージしてしまいますが、プラトンはレスリングをやっており、大柄な体育会系の男子だったようです。

実はプラトンの本名は「アリストクレス」。若い頃に習っていたレスリングの師匠から「プラトン」と呼ばれていたことからプラトンと呼ばれるようになったと言われています。

ちなみにプラトンのレスリングの実力は、古代オリンピックで優勝するほどの実力であったと記されており、文武両道のエリートだったと伝えられています。

師匠ソクラテスとの出会い

ここでわしとの出会いか!こうして時が経ってからも語られるとは感慨深いの〜

当時、先生と出会えた事はいつ振り返ってもとても幸せな事でした。先生の素晴らしい考えを聞けてとても充実した日々を送ることができました!

プラトンがソクラテスと出会ったのは二十歳の頃。街で自身の哲学を話していたソクラテスに大きな影響を受け弟子入りを決意します。

問答法でも有名なソクラテスから哲学や対話術を学んだプラトンは、哲学と政治の統合について興味を持ち、政治家を志すようになります。

プラトンの様々な思想は、ソクラテスに師事していた時期から温められていたと言われており、いかにソクラテスがプラトンに大きな影響を与えていたかが伺えます。

ソクラテスの死後、プラトンは「ソクラテスの弁明」という著書を書くことで師匠であるソクラテスの哲学を後世に残しました。プラトンの著書は対話篇(対話形式)が多くその殆どにソクラテスが出てきます。

師匠ソクラテスの死後

ソクラテス – 参照:Wikipedia

プラトン自身の哲学を追求する日々

わしがお主の事で知っているのはここまでじゃ。わしが死んだ後お主はどうしていたんじゃ?

先生が亡くなった後、先生を殺した政治に疑問を持ってしまいました。政治家を目指していたのですが政治に関わりすぎても理想国家にはなる事はないと考えたんです。結局、政治を離れ政治の研究を始めました!

ほう、それでその政治研究でどんな事がわかったのじゃ?

私の研究では、知恵、勇気、節制、正義の四つの徳つまり四元徳を備えた者が政治をする事で理想国家には必要不可欠だと結論付けました!

その四つの徳はどのようにしたら備わるんじゃ?

人間には理性、意志、欲望の三つの魂があり、理性で意志と欲望をコントロールする事が大事です。三つ上手く働くと「知恵、勇気、節制」の徳に変わります。この三つの徳が上手く調和すると正義の徳が生まれる考えました。三つの特に正義の徳が加わって四つの徳になります。

もう一つ質問じゃが四つの徳がなぜ理想国家に必要な要素となるんじゃ?

徳がない人間、つまり理性的でない人間は国家の事ではなく結局私的に動いてしまいます。国家を理想に近づけるためには理性を持って国家の事を一に考えられる人が統治者になるべきなのです。哲学者は理性的に優れているので私は哲学者が政治を担うべきだと考えています。

ソクラテスに師事していた頃は政治家を志していたプラトンですが、ソクラテスが現政権に反発して死刑となった事や、民主政治の意思決定の遅さなどに幻滅し、直接的に国家に関わる事を諦めます。

しかし、哲学と政治、国家との関わりに関しての研究をつづけ、ソクラテス死後の中期以降にプラトン独自のイデア、哲人王、哲人政治といった哲学・思想が数多く生まれることとなります。

四元徳

プラトンは理性・意志・欲望の三つの魂は、理性が正しく他の二つをコントロールし、三つの魂が正しく働くことで、それぞれが知恵・勇気・節制と言った徳に変わると考え、そしてこの三つの徳が調和することで正義の徳となり、知恵・勇気・節制・正義(四元徳)が生まれると考えたのです。

プラトンの考える理想の統治者と哲人政治

プラトンは四元徳を備えた国こそが理想国家であり、この四元徳を備えた統治者が理想国家には必要不可欠だと主張しました。

プラトンの哲人政治という言葉は、三つの魂の一つである理性に最も秀でている哲学者こそが理想の統治者であるという考えから生まれたものなのです。

様々な哲学との出会い、「イデア」概念の誕生

お主は「イデア」という概念も発見したそうじゃの!イデアとはつまりなんなのじゃ?

イデアとは簡単に説明すると物事の理想形です。この理想形を思い浮かべる事ができないと他人に用意された物が本質からはかけ離れていたとしてもその事を判断する事ができないのです。言葉では、少し難しいですよね図式も用意したので見てみてください!

プラトンの哲学で最も有名な「イデア」の概念はソクラテスが死んで約十年後のプラトン39歳の頃に誕生します。

この頃にプラトンは、アテナイを離れてイタリア〜シケリア島〜エジプトを旅行しており、この旅行の道中に様々な哲学における学派と交流します。この交流によってプラトン自身の哲学・思想はより深まり、万物の理想「イデア」を考えついたのです。

私たちが見ているものは物事の「影」の部分でしかない!?

プラトンの残した有名な比喩で「洞窟の比喩」というものがあります。

物事の本質を見る上で重要な「イデア」に関心がない人間は、洞窟で手足を縛られ、壁に映る影を見ているような状態であり、このような人々に物事の本質を教えるのは、洞窟の外を見せてあげる必要があるというものです。

この比喩には、物事の本質を見るには「イデア」を教える哲学者の存在が必要不可欠であるという事を言っており、この考え方が、哲学者こそ統治者に最も適していると主張するプラトンの根拠でもあるわけです。

洞窟の比喩を詳しく


参照:intellettualemoderno.com/

こちらは洞窟のイデアを図式によって表したものです。この図式では、大きく洞窟の中と洞窟の外の大地に分かれています。洞窟の中の世界が私達の世界、洞窟の外の大地がイデア(理想系)の世界という事を比喩によって表しています。

洞窟の中で影を見ている座った人達がいます。これがイデアに関心を持たない人達です。影は後ろの人形を持った人達に見せられているものです。しかし、この方達にとっては、外に大地が広がっていたとしても見ている影こそが全てだと考えているので一生を影を見て過ごすことになるのです。

洞窟入り口付近には大地に立っている人も含めて3人の人達がいます。大地に立っている人はイデアの世界に達した事を表しています。ここでもう一人重要であるのが洞窟の出口付近で眩しそうにしている人です。

眩しそうにしている人は出口に立った事でイデアの世界が見えるところに立ってます。これも比喩であり暗いところから急に明るいところへ行くと眩しくて何も見えません。イデアの世界も達した最初は景色が広く見えない事を表しています。

後進の育成に力を注いだ壮年期

プラトンとアリストテレス – 参照:Wikipedia

哲学の学校「アカデメイア」の創設

お主はなぜ学校を創設したのじゃ?

学問によって生徒を育み理想国家の要素としていきたかったんです!哲学だけじゃなく、他の学問も取り扱いました!
先生の問答法を参考にして授業は先生と生徒が対話する形にしました!

プラトンの功績として最も評価されているが、哲学を本格的に学ぶことができる学園「アカデメイア」の創設です。アカデメイアの構想自体は20代の頃から温めていたと言われていますが、実際に創立したのは「イデア」概念が生まれた一年後のプラトン40歳の頃です。

万学を教えるアカデメイア

アカデメイアでは、哲学だけでなく天文学や生物学、数学、政治学に至るまで様々な学問が教えられました。

普通の学校のように先生の授業を聞くだけの学校ではなく、先生と生徒が対話することで学ぶとても実践的な学校でした。

プラトンの一番弟子アリストテレス

アリストテレスと言えば、「万学の祖」と呼ばれる哲学界の偉人の一人ですが、実はプラトンの創設したアカデメイアの生徒として20年間も学業に励んでいました。

プラトンはアリストテレスのことを「学園の精神」とまで評価しており、プラトンに取っては誰にも代えがたい一番弟子であったことは間違いのない事実です。

最良の国家を追求、生涯かけて多くの後進を育てた

最良の国家実現のために、39歳の頃の旅行で交流のできた哲学者や、旅行先のシケリア島においてプラトンの哲人政治に興味を持ち、自国で哲人政治を試みたいと言ったディオニュシオス王と協力して夢の実現に奮闘します。

しかし、政治闘争に巻き込まれプラトン自身も軟禁、弟子のディオンが暗殺されるなどして結果的には失敗に終わってしまいます。

友人の協力によりなんとか国に帰ることができたプラトンはその後、アカデメイア学園と後進の育成に尽力し、80歳でその生涯を閉じました。

プラトン – 名言

自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。

人間のことは何にてあれ、大いなる心労に値せず。

親切にしなさい。あなたが会う人はみんな、厳しい闘いをしているのだから。

愛に触れると誰でも詩人になる。

目は心の窓である。

人間の最も基本的な分類として、「知を愛する人」「勝利を愛する人」「利得を愛する人」という三つの種類がある。

賢者は、話すべきことがあるから口を開く。愚者は、話さずにはいられないから口を開く。

少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。彼の興味を利用して指導せよ。そうすれば自分の能力がどこに向いているか、少年自身で見出しやすくなる。

科学は、知覚以外の何物でもなし。

はじまりは労働の最も重要な部分である。

リズムとハーモニーは、魂のもっとも深いところに至る道を持っている。

音楽は、世界に魂を与え、精神に翼をあたえる。そして想像力に高揚を授け、あらゆるものに生命をさずける。

ただ死者のみが戦争の終わりを見たのである。

プラトン – まとめ

いかがでしたでしょうか。プラトンとは、簡単に言うと著書や学校を残し哲学をより進歩させるために尽くした人物です。

師匠ソクラテスの考えに自身の考えも交える事で哲学育成に貢献しました。「万学の祖」と呼ばれるアリストテレスもその意志を受け継ぎ自身の考えを更に加え後世に残しています。

現在では、学者は優れた考えを論文や著書にして残し後世にも伝わるよう形として残しておきます。その文化の大元がプラトンと言う事です。長い年月をかけ古代から回ってきているバトンを受け取り今があるのです。とても素晴らしい事ですね。