近代における三大心理学者と言えばフロイト、ユング、アドラーです。フロイトの弟子として認知されることの多いユングですが、彼の思想はフロイトの継承ではありません。分析心理学の祖とされるユングの思想を紹介します。
カール・グスタフ・ユングとは
分析心理学
分析心理学とはユングの創始した深層心理学理論です。コンプレックスを研究したユングは、言語の連想実験を通じて深層心理の究明を目指しました。
ユングの連想実験
一連のごく簡単な単語を用意し、被験者に連想してもらい、応答にかかる時間を測定します。ユングは1度目と2度目の応答の差や各言葉への応答の差から平均的なものと特殊なものに区別しました。
コンプレックス
応答時間のズレや、スムーズに再生されない言葉を調べることで、ユングはそれらの言葉が無意識的に何かしらの感情的な意味をもっていることを発見しました。
無意識の感情と観念の複合体としてユングはこれを「コンプレックス」と名付けています。
集合的無意識
コンプレックスを発見したユングは、個人のコンプレックスよりさらに深層に、集団や民族ひいては人類に普遍的に存在する、先天的な心理構造を見出しました。
ユングはこれを「集団的無意識」となずけ、個人のもつ無意識と対比しています。
幼少期から大学まで
幼少期から大学まで
ユングは1875年7月26日、スイス北部のトゥルガウ州ボーデン湖畔のケスヴィルに牧師の子として生まれました。
牧師であった父親は言語学の博士号を持ち、祖父はバーゼル大学で医学部教授であったことから、ユングは学問に触れる機会が多かったと考えられます。
母方は代々霊能師の一族で、その影響もあってかユングは鋭い感受性を持った少年であったようです。少年の時に見た人喰いの夢や母親の二面性はユング少年の精神に大いに爪痕を残し、後年の思考に影響を及ぼしています。
思考に没頭する学生時代
ユングの繊細で鋭い思考は自然に自己の内面へと向かっていきました。善と悪、神と人間などについての思索に没頭したユングは、ゲーテやカント、そしてニーチェなど多くの哲学者の著作に触れ感銘を受けたそうです。
彼の心理学者としての著作には、ニーチェやゲーテが引用されており、彼の思想の基盤に哲学の影響があることが伺い知れます。
精神医学との出会い
空想的で根拠を必要としない宗教というものに青年時代のユングは幻滅し、父の職である牧師を継ぐことは望まず、祖父と同じバーゼル大学へ進学しました。哲学と科学(特に生物学)に深い興味抱くユングは、二つの分野の合流点とも言える精神科学に出会い衝撃を受けます。
この出会いは現実的で自然科学的なものに惹かれる自分と、内面的な宗教史や哲学に惹かれる自分の二つの自分が一つになったという感覚をユングにもたらし、ユングは精神医学の道に進むことを決めました。
フロイトとユング
ジークムント・フロイトとの出会い
1900年はフロイトの「夢分析」が発売された年です。ユングは当初あまり関心を寄せませんでしたが、1903年にフロイトの抑圧理論に自らの思想との共通部分を見出します。
1904年、勤務先のチューリッヒ大学でザビーナ・シュピールラインの治療を通してユングはフロイトと知り合いました。初対面でありながら13時間も話し合うほど二人は意気投合したそうです。
若干の考えの違いがあるものの、ユングはフロイトを父親のように慕い、二人は親交を深めていきました。ちなみにフロイト、ユング、ザビーナの関係は「危険なメソッド」という映画になっています。
決別
ユングは「リビドーの変容と象徴」を1912年に出版しました。この著書でユングとフロイトの考えの違いが顕著になり、二人は決別します。フロイトと別れた後、ユングは精神的に不調を来たし幻覚を見るようになり苦しみました。
ユングとフロイトの考えの違い
二人の考えの違いはリビドーという概念の認識にありました。リビドーを全て「性」に還元する概念としてとらえたフロイトに対して、ユングはより広範な概念として捉えようとしました。
ユングにとってのリビドーはショーペンハウアーの「意思」に近い概念です。ショーペンハウアーの「意思」についても当サイトで紹介していますので、気になる方は是非ご確認ください。
壮年期
心理学クラブの設立
フロイトと別れた後、ユングは所属していた国際分析協会も辞めてしまいます。
ユングは一人研究に励み、石油王ジョン・ロックフェラーの四女マコーミック夫人の助力を得て「心理学クラブ」を設立しました。このクラブにはノーベル文学賞受賞者ヘルマン・ヘッセも訪れています。
「心理学類型」公開
1921年、フロイトは代表作「心理学類型」を公開しました。
タイプ論-2つの態度と4つの機能
ユングはこの著作の中で、人の内面的な特性を2つの態度と4つの機能を組み合わせた8つに分類しました。MBTIなどの性格分析などもユングのタイプ論をベースに開発されています。
二つの態度
ユングはまず人間を「内向的」であるか「外向的」であるかに分けました。内向とは興味や関心の対象が自分の内面に向いている人を指し、逆に外向とはそれが環境や他者など外部に向かっている人を指します。
四つの機能
上記の分類に加えて、さらにユングは「思考」「感情」「感覚」「直感」の四つの機能のうち、どれがもっとも強く作用するかで人をタイプ分けできると主張しました。
決断を下す際「思考」「感情」どちらを重視するか、「感覚」と「直感」どちらの情報に注意をむけるかで人の内面特性を分類できると考えたのです。
元型とペルソナ
全人類の根底に共通に存在する心理構造であり「集合的無意識」、そのなかにある共通パターンをユングは「元型」呼びました。元型は生得的で本能的な行動、また知覚、認識を司るとされています。
また人間の外的な側面にあらわれる心理的な仮面を「ペルソナ」と呼びました。ユングは人が外界に適応するため本来の自分とは違う心理であるペルソナを持つと主張しました。
晩年
晩年、ユング派ユング研究所を設立し、ユング派の臨床心理学を確立しました。
エラノス会議に出席し盛んに学問交流を促したほか、晩年には多くの著作を発表しています。最期は1961年6月6日にユングはスイスのチューリッヒにて逝去しました。